歴史

新潟市サッカー協会ヒストリー
 日本蹴球協会の設立は大正10年で全国の蹴球部の誕生はそのころからはじまった。
新潟では昭和5年新潟医科大学に蹴球部が結成、その後、新潟高校、長岡高専に部が誕生し、対抗戦が可能となった。しかし、昭和18年頃より新潟は空襲、長岡は空爆とその灯は消えた。
 戦後、昭和20年全朝鮮サッカーチームが来訪した。新潟医大チームは4-0で快勝の記録が残っている。昭和22年柏崎高校、翌23年に新潟高校で部が発足。翌24年には新潟明訓高校、長岡工業高校に部が誕生し、4高校によるリーグ戦が行われた。
 昭和24年5月協会設立へ向け新潟医大が動き、同年1949年6月21日高木健太郎が初代会長に就任し弊新潟市サッカー協会は設立された。翌25年日本蹴球協会はFIFAに復帰する。
新潟市サッカー協会設立より、遅れること10年昭和34年に関東地区日本蹴球協会より分離、新潟県蹴球協会(現在の新潟県サッカー協会)発足。
昭和39年の新潟国体は明訓サッカークラブが単独出場することになった。この時の出場選手、その後の強化員だった教員が現在のサッカーの普及活動の中心となっていく(木村哲夫氏、百瀬文夫氏、古川智久氏等)平成3年より日韓ワールドカップが浮上し、平成8年12月に新潟市開催が決定した。
平成6年新潟イレブンをアルビレオ新潟の名称でJFLチームといて登録。現在のアルビレックス新潟は新潟市をホームタウンとする。

 サッカーを通して、たくさんの素敵な出会いと思い出ができますよう、サッカーに興味のある人、大好きな人間集まれと言うような大会、イベントも開催し、サッカーを通じて、健康であり、仲間の輪を広げ、ボランティア活動にも参加でき、新潟市にさらにサッカーが生涯スポーツと言われる様努力を絶やさぬようにしてまいります。


新潟市サッカー協会活動について
 楽しいサッカーを通して、新潟がふるさとであることを誇りとする子供たちが、ここ新潟へ戻り、
特にサッカーに興味のある人、大好きな人間集まれと言うような大会、イベント開催し、
サッカーを通じて、健康であり、仲間の輪を広げ、ボランティア活動へ参加し、
新潟市において、さらにサッカーが生涯スポーツと言われる様に努力を絶やさぬようにしてまいります。

新潟市サッカー協会の徽章は日比野克彦氏のデザインによるものです。